目指せ、情熱の溢れる歯科医院
かさはら歯科医院 院長 笠原一規


こんにちは。皆さんお元気でしょうか?
前回号にも書きましたが、本当に今年も早いスピードで時間が過ぎていきますね。

今月も元気に頑張りたいと思います。皆さんも元気に頑張ってくださいね。
私は元気がとても経営者にとってとても大事なひとつではないかと思います。

前回は卒業から就職までの話をしましたね。
私は大学を卒業してからすぐにラグビー部のOBの先生ところにお世話になりました。

歯科医院の場所は私の実家から車で30分のところにあり、県北部では一番大きい市です。
ロケーションは市街地から車で5分くらいの場所でスーパーの2階にありました。そのスーパーは埼玉県の北部では有名で結構お客さんもたくさんきていました。

歯科医院にはスーパーのお客さんの他、院長先生のお友達の方もたくさんいらっしゃっていましたので繁盛歯科医院です。
(勤務医を雇い入れる歯科医院は大体が繁盛歯科医院だと思います。)

当然、私は学生実習でもあまり一生懸命やっておらず、何もできないことが逆に自慢のような感じでした(笑)。

最初は院長先生の治療の見学から始まりました。最初は何をやっているのかも
わからず、今日の予定表を見ながら、院長先生の説明を聞きながら、レントゲンをみながら、少しづつ慣れていきました。

そうそう大事な話を忘れていました。医院に就職して一番大事なのは、院長先生に気を遣うのは当然ですが、スタッフに気を遣わないといけないのを私は今までのアルバイトの経験から理解していました。
(スタッフとうまくいかず、長続きしないスタッフを多くみてきました。)

当院の勤務医の先生もそうなのですが、私には気を遣えるのですが(当たり前ですよね)、スタッフに対して気をうまく遣えない人が多いと思います。まずはスタッフに協力をしてもらわないと何も出来ないことを後になって理解する人が多いのが残念だと思います。

これも、大学では習わないので、出来ないのか、それとも一人でできると思っているのかわかりませんが、スタッフとの関係が苦手な人が多いと思います。

今の当院では、最初にスタッフとの協力関係はとても大事なことを話しています。

次にスタッフとの関係がうまくいくようになって、もっと重要なのは患者さんとのコミュニケーションです。

皆さんにとってコミュニケーションの大事さはとても理解していると思いますが、我々歯科医師は患者さんは大事と頭では理解しているのですが、とても表現が苦手な人が多いと思います。それは、先ほど話した大学では習わないのも影響しているかと思いますが、今の社会において、コミュニケーションを取らなくても生活が出来るのと、特に他の人から注意を受けないのもあるかと思います。

私自身も、最初から出来たのかというとそれほどではなかったかと思いますが、今までのアルバイトの経験であったり、先輩、後輩の関係の中で、コミュニケーションの重要性は理解していました。

当然最初、治療はうまくはいかないケースもあり、院長先生はじめスタッフには迷惑をおかけしたかと思います。

しかし、患者さんに対する気持ちは他の経験のあるドクターやスタッフにも負けなように接していたと思います。
(これが大事だと思います。負けない気持ちですよね)

歯の印象がうまくとれず、5回も6回もやらせていただいとこともあります。
歯がうまく入らず、もう一度麻酔をして治療をさせていただいたこともあります。
(このときの患者さんごめんなさい。あのときがあるので今の私はあります)

しかし、患者さんとのコミュニケーションがとれているため、トラブルになることはなかったと思います。
(そう思っているだけかもしれません。もしトラブルになっていとしたら、それは院長先生のお陰で助かったと思います)

きっと患者さんも。この先生はあまり上手くはないなと思ったと思います。
それでも通っていただいたのは、私の患者さんに対する情熱を理解してもらったのではと今は思っています。

この情熱が私が診療をする上で、一番大事な物だと今でも思っていますし、勤務医の先生やスタッフにも話をしています。

目指せ、情熱の溢れる歯科医院!

次回に続く
<プロフィール>


1970年 埼玉県の北西部の田舎で生まれ育つ。
1988年 埼玉県立秩父高等学校を卒業する。
1988年 東日本学園大学(現北海道医療大学)に入学する。勉強よりもラグビー部の練習の方がつらかった思いでがあり、今も、夏合宿の前の日の夢をる。目が覚めて、もう卒業したことにホッとしてまた寝る。よく国家試験の夢をみるという人もいるが私はまだない。
1994年 大学を無事卒業する。
1994年 当時の大学の同窓会長のすすめで、ラグビー部のOBの歯科医院に勤務する。今の私の考えがあるのも、勤務医時代のお陰と思って、感謝している。
1997年 無謀にも自分ならできると思い宮城県塩釜市にて、紹介により開業する。しかし、世の中そんなに甘くないことを知る。初めての挫折を十分に味わう。
1999年 宮城県仙台市に移転開業をする。20代にして2度の開業を経験する。
2004年 現在地に500メートル移転を行う(3度目)。