こんにちは。皆さんお元気でしょうか? 前回は高校時代のお話をしましたね。初めて話すこともあり、恥ずかしいことも書かせていただきました。今回は大学時代についての話をしたいと思います。
高校を昭和63年の3月に卒業して、4月から東日本学園大学(現北海道医療大学)に入学することになったのですが、初めての一人暮らしということもあり、また父親もほとんどかまってくれなかったのもあるのですが、準備が全くなく、とりあえず体があれば大丈夫だろうということで、北海道に埼玉から向かいました。
そうそう、大学は札幌市にあるのではなくて、隣の石狩郡当別町というところにあります。隣といっても、40キロメートルくらい離れていて、電車(汽車)で小一時間くらいかかったと記憶しています。場所は大学前駅という駅の目の前です。
私のアパートは、大学前駅の一つ札幌よりの石狩当別駅のそばを借りました。
親がきっと、札幌に住むと遊んでしまい、学校に行かなくなるのではと思ったのかはわかりませんが・・・
一人暮らしの準備ですが、埼玉より送らなければいけないものがたくさんあるのに、私の記憶ではほとんど送らなかったのではと思っています(布団なども)。
これには正直困りました。部屋はあらかじめ契約をしていたのですが、布団や電化製品なども買っておらず、札幌についたらまず布団を買って、当別では電化製品を買ってと思っていたのですが、布団や電化製品を買ってもすぐには配達してもらえず、二日間くらいは布団を大家さんに借りたのを覚えています。また電化製品もほとんどなかったので、暗い部屋で、一人の寂しさも手伝い「これから6年間もやっていけるのかな」と暗い気持ちになっていたのを今でも思い出します。
その後は普段の明るさもあり、無事に大学に通いましたが、一番大変だったのは、大学の授業ではなく、ラグビー部が一番大変でした。
何が大変なの?と聞かれますが、まさか大学にきて毎日練習をするとは思っていなかったのですが、当然毎日練習があります(途中の学年からは月曜日は休みになったかと思います)。
土曜日も日曜日もです。(そして祝日も)
ちょっとおさらいをしますね。
一番大変だったラグビー部での出来事
夏休みに合宿があり、休みが少ない・・・
(これはラグビー部恒例で、だいたいお盆前くらいに行われます。7日間〜10日間くらいだったと思います。夏休みの真ん中くらいに行われ、私みたいに実家が遠い人は夏休みが少なくなってしまいます。内容も私にはとてもハードで、今でも明日から夏合宿だと思う夢を見ます。)
深夜に先輩に呼ばれる・・・
(これはなにかというと、深夜に先輩が酔っぱらって私の部屋にきて、私を拉致して先輩の部屋に連れて行かれ呑まされるのです。これは私が気持ちよく寝ているのを起こされ、冬は零下の中を連行のように連れて行かれるのです。このときには涙なくては語れません・・・・。当然拒否権はないです。)
お腹いっぱいでもなおも食べさせられる。
(これはきっとどこの体育会系の部ではあったかと思いますが、取り合えずお腹が一杯でもなおも食べないといけない、食い地獄があります。私自身は食い地獄だけですが、嫌いな食べ物がある人は皿一杯に嫌いな食べ物をのせられ食べさせられるのを見ると、この先輩達の前で嫌いな食べ物だけは絶対言ってはいけないと心に誓っていました。)
と以上いろいろありましたが、本当はいいことの方が多かったです。
それは、今でも付き合える同級生もいますし、先輩もいます。とても親身に相談にものってくれるし、とても頼りになる人ばかりです。いつもいつもお世話になりっぱなしですので、この場をお借りしてお礼を申し上げます。ありがとうございます。
ということで、大学生活も無事に終了しました。
大学時代の勉強の話がないですって、そうなんです、いまだに大学時代の勉強の話が思い出せないんです。成績はあまり良くない方で、よく再試験、再々試験を受けていましたが、私の中では留年するかもと思ったのはほとんどないです(周りからはきっと留年するのではと思われていたかもしれません)。
とくに勉強が辛くて、辛くてというのがないので、すいません面白くないかもしれませんね。
それより、私の大学時代と言えばラグビー部の話しか思い出せないくらい、いろいろなことがあったと思います。
今は私の中での大切な大学時代の思い出です。
次回は私の就職についての話をしたいと思います。 |
<プロフィール>

1970年 埼玉県の北西部の田舎で生まれ育つ。
1988年 埼玉県立秩父高等学校を卒業する。
1988年 東日本学園大学(現北海道医療大学)に入学する。勉強よりもラグビー部の練習の方がつらかった思いでがあり、今も、夏合宿の前の日の夢をる。目が覚めて、もう卒業したことにホッとしてまた寝る。よく国家試験の夢をみるという人もいるが私はまだない。
1994年 大学を無事卒業する。
1994年 当時の大学の同窓会長のすすめで、ラグビー部のOBの歯科医院に勤務する。今の私の考えがあるのも、勤務医時代のお陰と思って、感謝している。
1997年 無謀にも自分ならできると思い宮城県塩釜市にて、紹介により開業する。しかし、世の中そんなに甘くないことを知る。初めての挫折を十分に味わう。
1999年 宮城県仙台市に移転開業をする。20代にして2度の開業を経験する。 2004年 現在地に500メートル移転を行う(3度目)。 |