こんにちは。皆さんお元気でしょうか?
前回は、当院のお話をさせていただきましたね。今回から少し、自分自身を振り返ったお話をさせていただきたいと思います。
生まれや出身地などはプロフィールに書いてあるので、割愛させていただいて、
歯科大学に入ろうと思った話からしたいと思います。
私は埼玉の秩父高校というところに通っていました。秩父市は私がいたころは人口6万人くらいで(今現在は平成の大合併で人口は増えたかと思います)、最寄りの駅は御花畑(はじめて聞いたときにはびっくりしました)という駅から歩いて15分くらいのところにあります。
校風はとてものんびりしていて、受験地獄という言葉はとても無縁な高校で毎日がとても楽しく通うことができ、私の中のとても大事な記憶の1ページです。
当然私は、動物占いで羊ですから、みんなとの協調をとても大事にしていますので、みんなと同じように、「夕焼けにゃんにゃん」の話をして、何番のだれだれがいいね。とか土曜日の夜になるとこっそり「ウイークエンダー」のあとに「オールナイトフジ」をたまに観ていました。両親が遅くまで起きているときは観ることができず(早く寝ろよと真剣に思っていました)、たまに(よくよく?)泊まりにいく友達の家で観ては、他愛の無い会話をしていましたが、とても楽しかった思い出です。
当時は、クラスの中でも私は口が達者のほうで、高校を卒業したら法学部に行って弁護士になりたいと思っていました。当然勉強などは全然していないので、今思えば多分なれなかったと思うのですが、そのときには弁護士になれる保証はないのに漠然になれるのではと真剣に思っていました(きっと頭がわるいだけです)。その性格は今も変わらずときに突拍子もないことを考え、突然実行するので、スタッフもとてもついてくるのが大変かと思います(笑)。
歯学部に行きたいと思ったのは、高校3年の12月のある朝、学生服に着替える途中に、医学部か歯学部というのもありかなとふっと思ったのがきっかけでした。当時私の姉(2つ上)が歯科衛生士学校に通っていたことも無縁ではないと思いますが、本当に突然思い立ったのでした。当然思い立っただけですから、これから何を勉強したらいいのかもわからず、どの大学はどの受験科目で受けられるかの本を買いに行ったのが最初だったと思います(もしかして嘘かもしれません)。
私の高校のクラスは文系のクラスで、今はやりの履修問題はクリアしていると思いますが、数学の授業がないクラスで、理科も物理をやっておらず、とても医学部の受験はだめということで、歯学部になったと記憶しています。本当に安易で決めていました。
受験校も、たまたま空いていた日にちで決めて、とりあえず歯学部に入れればと思っていました。大学によっては理科が2科目のところもあり、全く勉強もしないで受験をして、わからない化学のマークシートはサイコロで決めた思いがります。
なんて、ふざけた受験だったと思いますが、親には今もこの話はしていないです(笑)。
そんな私でも我が母校の東日本学園大学(現北海道医療大学)には合格しました。たまたま受験者数が少ない年もあり、また前の日に勉強した過去問のところが出て、わからないところは三択のABCのBを全部選択した、大分が正解だったのかもしれません。
なにやかんだで、昭和63年4月に現役で大学に進学することができました。
次回の話は大学生活について話をしたいと思います。 |
<プロフィール>

1970年 埼玉県の北西部の田舎で生まれ育つ。
1988年 埼玉県立秩父高等学校を卒業する。
1988年 東日本学園大学(現北海道医療大学)に入学する。勉強よりもラグビー部の練習の方がつらかった思いでがあり、今も、夏合宿の前の日の夢をる。目が覚めて、もう卒業したことにホッとしてまた寝る。よく国家試験の夢をみるという人もいるが私はまだない。
1994年 大学を無事卒業する。
1994年 当時の大学の同窓会長のすすめで、ラグビー部のOBの歯科医院に勤務する。今の私の考えがあるのも、勤務医時代のお陰と思って、感謝している。
1997年 無謀にも自分ならできると思い宮城県塩釜市にて、紹介により開業する。しかし、世の中そんなに甘くないことを知る。初めての挫折を十分に味わう。
1999年 宮城県仙台市に移転開業をする。20代にして2度の開業を経験する。 2004年 現在地に500メートル移転を行う(3度目)。 |